走ることについて語るときにLiuの語ること
第三部:グランドスラム、 遙かなる頂を目指して
・第1章   ・第2章   ・第3章   ・第4章   ・最終章
第二部:走ることの意味を知りたくて僕は走った
・第1章   ・第2章   ・第3章   ・第4章   ・第5章
第一部:走ることの楽しさを教えてくれた人達へ
・第1章   ・第2章   ・第3章   ・第4章   ・第5章
第二部 第4章 もう一歩前へ、あと一歩前へ進もうとする僕

2008年の年末から2009年の年始にかけて冬休みの間走り続けていた。
今まで教えてきてもらったことを思い出して、僕なりに考えてメニューを組んで、
僕にとっては普段より少し負荷の
一昨年末は故障で走れなかったから?いや違う・・・
もう少し強くなりたいと思ったから、また新たな気持ちで走り出そうと思ったから。
多摩川河川敷を僕は一人走った。
冷たい風を頬にうけながら・・・
あと少し強くなる為に僕は一人走った。

そんな冬休みが終わっていった。



冬休み中の走りの疲れも取れないまま、すぐに2009年最初のレースをむかえた。

2009年1月11日、谷川真理ハーフマラソン。
風の少ない穏やかな日だった。
僕の中では初めてベストを狙わないレース、
2月1日の神奈川マラソンでベストを狙うための準備レース。
「4分10秒/kmよりは速くならない」、「4分15秒/kmで最低でも10kmは行く」と
二つの課題を持って挑んでいた。
その為に10kmまで本気で走って残りはジョグの予定。のはずだったが・・・

スタートと同時にオーバーペースで突っ込んで最初の3kmを12分7秒で走ってしまい、
結局その後、5kmともたずにペースは落ちていって、5-10kmの1km毎のLAPは
全て4分15秒/kmオーバー、10km通過に42分23秒かかった。
課題は両方ともクリアできなかった。
その上、15km過ぎは歩いたり止まったりする始末。
何百人に抜かれただろう・・・情けなかった。

ただこのレースで最初のほんの数秒の誤差がレース全体を狂わせることを知った。
今回の失敗は次につながる失敗。
「今日はただの練習じゃないか」そう思う事にした。


谷川真理ハーフマラソンの後、まず疲労抜きと減量に取り組んだ。
特に太腿の疲労が抜けにくくなっていたから。
疲労回復はサプリメントに頼ることにし、いろいろ調べてたり聞いたりして
以前とっていて調子のよかったBCAAをとる事にした。
そして走る前には股関節の柔軟を重点的にするようにした。
疲れが残りにくくなったような気がした。
体重は2008年11月のつくばマラソンのあとからの増えているのは分かっていた。
アイスやスナックの間食増加、そして夕飯も増えていっていたから・・・
分かっていたから体重計に乗るのは避けていた。
そして、一月中旬にしばらくぶりに乗ったときには・・・5kg増えていた。
約1年ぶりの80kgオーバー。。。
その日から2週間の食事制限でなんとか3kgちょっと落とした。
練習メニューは周りのアドバイスなどを受け修正しながらこなしていった。
レース4日前には治療院でマッサージ、レース2日前には美容院に行って髪を切った。
初レースの時からのジンクス、髪を切った後のレース結果はいい。

全ては神奈川マラソンで必ずベストを更新する為に・・・



神奈川マラソン、今シーズンハーフマラソンで唯一自己ベストを狙うレース。
8ヶ月前に今シーズンのレーススケジュールを決めた時にそう決めた。
目標タイムは「1時間28分37秒」周りには「28分台を狙う」そう言っていた。
その目標も8ヶ月前に決めていた。
谷川真理ハーフマラソンの結果からすれば28分台は厳しいかもしれない。
いくらあのレースが本気じゃなかったとしても。
が、レース前日、とある場所にだけこう書いた。

「1時間27分台 最後まで走りきる」

最初の目標との差は約40秒、ペースで言えば1kmあたり2秒。
たかが2秒、されど2秒。
27分台で走るには4分10秒/kmで走り続けなければいけない。
スタートでのロスも考えるとそれよりもさらに速く走らなければいけない。
もちろんそんなペースで10kmも走ったことはないし、
練習での10000Mのベストでさえ41分53秒(4分11秒/km)だ。
それよりも速いペースで倍以上の距離を走り続けるなんて・・・
自分でも無謀だと思っていたのかもしれない。
それなのにどうして27分台を目指そうと思ったんだろう。
いや、本当はきっと分かっていたんだ。
もう少し強くなりたかったからだって。
8ヶ月前に思い描いた自分より強くなりたいからだって。
きっと27分台を目指すと言ったら周りの人は無理だって思っただろう。
それでも自分くらいは自分を信じてあげたかったから、
だから「1時間27分台 最後まで走りきる」その言葉を残した。
その壁を乗り越えたかったから、乗り越えなきゃいけないと思ったから。



やるだけの事はやった。
調子は悪くない、足首など完璧じゃないけど今までのレースの中では一番いい状態。
これでダメなら・・・いや行ける・・・だって・・・



2009年2月1日、神奈川マラソン。
風の強い日だった。
「大丈夫、今のLiuなら絶対走れる」
会場に向かう電車の中で前日にもらったメールを読み返す。
「うん、大丈夫、きっと走れる」自分にそう言い聞かせた。

11時30分、スタート。
1km毎の距離表示が無いので入りの1kmのLAPが分からないが前回より抑えたつもり、
ただし抑えすぎない、自分のペースを信じる、ただそれだけ。
呼吸も楽にできている、足も動く、気持ちよく走れている。
5km通過、20分50秒、前回とほぼ変わらないタイムだが全然楽だ。
一定のペースで走れているんだと思う。
10km通過、41分17秒、前半の貯金は23秒、いい感じで走れている。
時折くるわき腹の痛みもなんとか堪えて走り続ける。
15km過ぎ、さすがにペースが落ちてくる、呼吸も乱れてくる、向い風が辛い。
「まだ動けるだろ、苦しいだけなら我慢できるだろ」自分に問いかける。
18km過ぎ、吐き気がする、酸素が足りない、肺の中の空気をできるだけ吐き出す。
そして足を動かす、止まる場所はここじゃない。
20km通過、1時間23分22秒、前半の貯金を使い果たしさらに2秒オーバー。
「大丈夫、今のLiuなら絶対走れる」
ラスト1km、ペースを上げた。
「大丈夫、僕は走りきれる」
最後のカーブを曲がった、腕を強く振る、空回りしそうな足を無理やり動かす。
地面を蹴る、強く蹴る、ただただ僕の身体を前に運んでいく為だけに。
僕はゴール地点の公式時計を横目にフィニッシュラインを駆け抜けた。

1時間27分56秒(ネット:1時間27分42秒[4分09秒/km])

自然と笑みがこぼれた。
「やったんだ俺・・・27分台で走っちゃったんだ俺。」
最後まで走りきった達成感に包まれていた。



いつ以来だろうこの達成感・・・
初めて100分をきった2007年11月のよこすかシーサイドマラソン以来かな。
その後もベストは更新したけど、タイムを狙って、予定を立てて、
その通りに走れたのは今までよこすかシーサイドマラソンだけだった。
(そう言えばあの時は僕だけだったかな100分切れると思ってたのは)
自分でいうのもなんだけど今回すんげー頑張ったもんな。
すんげー頑張ったからすんげー嬉しい。
本気で頑張ったから本気で嬉しい。
どうって事ないタイムなんだろうけど・・・やっぱ嬉しい。



と同時に強い吐き気に襲われていた、苦しくて堪らない、今にもはき・・・
けど笑顔だった。

帰りの電車で前日にメールをくれた人達に結果報告のメールした。
たぶんにやけながらメールをうっていた事だろう。
そしてその日、僕は久しぶりのソフトクリームを口にした。
やっぱり笑顔だったろう。





神奈川マラソンの翌日から僕はまた走り始めた。
すぐに青梅マラソンが迫っていた。昨年は雪のため中止になったレース。
だから楽しみにしていたはずなのに・・・モチベーションが上がってこない。
神奈川マラソンにかなり入れ込んでいたから、そしてやりきった感があったからか。
もともと青梅マラソン自体、フルマラソンの為の距離走という位置づけだったし、
特に目標タイムがあるわけでもなく、これと言った意気込みもなかった。

それでも僕はなんとなく走り続けていた。

そんな時、実家から電話がかかってきた。
親父が心臓の手術をおこなうと。
十数年前に心臓のバイパス手術を受けているのだが、
そこがまただいぶ悪くなったらしく、再手術。
今回は太腿から・・・結果は無事成功した。

僕なんてただなんとなく毎日を生きてるけど、
そこにもたぶん当たり前に生も死も存在していて、明日なんて誰も知らない。
もちろん僕自身の明日もね。
だからこそ今やれるんならやっといた方がいいことっていっぱいある気がする。
たとえばそれはそう・・・




2009年2月15日、青梅マラソン。
昨年とは違って暖かい日だった。
沢山の仲間達と走った。
ここに書き残すほどの記録でもないけど、
いつものようにスタートから突っ込んで後半ボロボロになったけど、
最後は笑って降りてこれた。
笑顔でハイタッチできた。
きっと次のレースにつながる。

そして僕は決めた・・・来年は必ず延岡西日本マラソンに出場しようと。

その為に、

もう一歩前へ、

あと一歩前へ進もうと思う。

2009/2/17