走ることについて語るときにLiuの語ること
第三部:グランドスラム、 遙かなる頂を目指して
・第1章   ・第2章   ・第3章   ・第4章   ・最終章
第二部:走ることの意味を知りたくて僕は走った
・第1章   ・第2章   ・第3章   ・第4章   ・第5章
第一部:走ることの楽しさを教えてくれた人達へ
・第1章   ・第2章   ・第3章   ・第4章   ・第5章
第一部 第3章 不安、休息、そしてブルーな僕

2007年11月23日、
よこすかシーサイドマラソンを96分30秒で走りきった代償として
僕は左足甲(足首?) を負傷した。
でも気持ちはすっきりとして次の壁を乗り越える。
はずだったが・・・・・・。
僕の目の前に何か大きな霧のようなものがかかった。
僕の中ではハーフマラソンで100分を切ることはとても大きな目標だった。
初めてハーフマラソンを走った時「いつか100分切りたい」そう思った。
だから僕自身こんなに早く達成できるとは思っていなかったし、
まさかその事が僕からモチベーションを奪っていくことになろうとは思ってもいなかった。





僕は次の目標として2008年2月3日に開催される青梅マラソンを予定していた。
が、横須賀でのレース当日に誘いを受けた2008年1月20日の千葉マリンマラソンに
急遽エントリーした。
仙台国際ハーフマラソンでの出場資格を得るためのエントリーだ。
(2008年から仙台の出場資格が緩和されハーフ100分以内になった為、
横須賀でのタイムでクリアしたの知るのは1ヵ月後のことになる)

そして目標タイムは本来出場資格を得る95分を目標にすべきだが、
ベストから1分30秒縮めることに魅力を感じなかった僕は目標を90分に設定した。
この無謀なタイム設定が僕をますます深い霧が包み込んでいく。

90分でハーフを走るにはキロ4分15秒ペースで走りきらなければいけない。
横須賀でのペースが4分35秒であることを考えると、
そこから20秒も上げるのはかなりきつい、と言うか普通無理だろう。
5キロまでなら何とかなるが10キロ行くことでさえ今の僕には・・・。
(だったら目標を下げればいいのに・・・ってどっかで分かっているのだけど・・・)
高すぎる壁も頂上が見えていれば乗り越えようとがんばれる。
ただ頂上が見えない壁は自分の無力感を突きつけられる。
止めたはずの言い訳が僕の頭の中を駆け巡る。

ただ僕のモチベーションとは逆に練習でのタイムは少しずつ上がっていった。
キロ4分30秒での10000Mペース走にもついて行けるようになり、
3000Mは12分を切れるようになった。
それでも目標にまだまだ遠い。
そんな頃、無理やりな頑張りから左足の故障を悪化させてしまう。
千葉マリンまで1ヶ月を切っていた。
不安があった、いや、むしろ不安しかなかった。
怪我が悪化する事の不安より、練習をしない事の不安の方が強かった。
この時期に走るのを休む事でタイムが悪くなるのではなかと。
同時期に僕は自分の言動で周りの人を傷つけてしまい、
僕は心身ともにどん底まで落ちて行った。
僕は自分が傷つけた人を癒す言葉が見つけられずにいた。
そしてそんな自分に再び無力さを強く感じた。
だから・・・僕は全てをもう一度見つめなおすために走りから離れる事を決めた。
心身をリセットするために、本当の優しさを見つけるために、
そしてもう一度いっしょに笑えるように。

そんな風にして僕の2007年は終わっていった。







年が明けても僕は走るのを休んでいた。
初詣に行く訳でもなく、ただ部屋でボーっとしていた。
家から歩いて5分くらいの川崎大師から賑わいの声が聞こえる。
そして僕の頭の中の声は・・・
「本当に左足の痛みは消えるのか?」
「もう一度走ることが出来るのか?」
「僕の体力はいったいどれくらい落ちているのか?」
「もう二度とあの景色を見ることはできないのか?」
そんな不安ばかりが僕の頭を埋め尽くしていく。

2008年1月4日、痛みがだいぶ治まった僕は不安を少しでも打ち消したくて
2週間ぶりに走った。5キロしか走れなかった。
スピードも出ない、キロ6分以上かかった。
でも久しぶりに汗をかいた。
次の日は少しペースを上げた、距離も少し伸ばした。
次の日にくる両太ももの筋肉痛が心地いい。
そんな風に僕は少しずつ走り始めた。
スタミナもスピードも落ちている。
ただ、この2週間の休息の中でほんの少しだけどモチベーションだけは上がった。
また走りたいって気持ち。
痛みも少しずつ小さくなってきている。



もう一度僕は見られるだろうか。
あのほんの一瞬の壁の上からの景色を。
そしてもう一度笑えるだろうか。
もう一度僕は・・・。

2008/1/11