走ることについて語るときにLiuの語ること
第三部:グランドスラム、 遙かなる頂を目指して
・第1章   ・第2章   ・第3章   ・第4章   ・最終章
第二部:走ることの意味を知りたくて僕は走った
・第1章   ・第2章   ・第3章   ・第4章   ・第5章
第一部:走ることの楽しさを教えてくれた人達へ
・第1章   ・第2章   ・第3章   ・第4章   ・第5章
第一部 第1章 走りはじめるまでの僕

なぜ僕は走っているのだろう。
すぐにでも足を動かすのをやめて、この場に倒れこみたい。
なぜ僕は走っているのだろう。
別に走るのが好きだったわけでもないのに今こうして走り続けている。
なぜ僕は走っているのだろう。
楽な事なんて何一つありはしないのに。
なぜ僕は走っているのだろう。
なぜ僕は・・・



小さい頃から身体は大きかった。
幼稚園の頃から高校卒業まで身長順で並ぶと
いつも後ろから3番目以内には入っていた。
でも大きいだけで運動神経がいい訳でもなく、
どちらかというと・・・と言うより明らかに肥満体型で運動は苦手だった。
徒競走ではいつも最下位、運動会前はいつも憂鬱だった。
小学校の頃は逆上がりも出来なかった。
中学校では陸上競技大会が学内で行われていて、それがさらに僕を憂鬱にさせた。
高校生の時の10キロ走では1時間半くらいかかって死にそうになりながら走った。
大学へ進むと当たり前のように運動なんて全くしなくなった。
ここから10年以上運動とは無縁の生活が始まる。
バンドサークルに入り、酒とタバコと音楽と間食の生活だった。
(間食だけは今でも続いているが・・・)
この当時僕の体重は0.1トンを初めて越えた・・・
大学卒業後、高校時代の仲間とバンドを組んで本気でデビューしようと夢見る。
(あの頃の僕は天才作詞家だと自分で思っていた。)
がメンバー4人での共同生活がいけなかったのか1年でバンドは解散。
そして僕は働き始めた。
働き始めるとお酒の量は減っていったがタバコは相変わらずだった。
仕事の関係から僕はパソコンとネットの世界にはまっていき、
1988年に初めてのHP「僕の愛する人達へ」を立ち上げる。
タバコを口にキーボードをたたく、そんな日々を過ごしていた。
2001年HP名を今の「MY LIFE」に変更する。

2005年5月幾度のプロバイダーの変更で、アドレス変更がめんどうになり
独自ドメインliuliu.bizを取得してレンタルサーバーを借りる。
そしてそのレンタルサーバーにブログ作成機能があり
そのブログにダイエットログがつけられるのを知ったのが2006年7月後半。
「んじゃあダイエットをしてみよう。」そう突然思い立った。
僕はやると言ったらやる男だ。

食事制限だけで40日間でほぼ10キロ落とした。
でも食事制限だけでは落ちなくなりウォーキングをするようになった。
初めの頃は2,3キロ歩くだけだったが徐々に距離が伸びていき、
2006年9月末には往復11時間約40キロ歩くと言うバカなことをやっていた。
そして3ヶ月間でもう10キロ落とした。
そこからはなかなか体重が落ちなくなった。

そんな2006年の11月、ダイエットの一環として僕は走り始める。

走り始めた当初、僕はまだタバコを吸い続けていた。
そして走ると言うには程遠く、ほとんどが歩きだった。
走っても2,3キロでキロ7分近くかかった。
それがその当時の僕のいっぱいいっぱいだった。
それでも毎日走る距離を伸ばしていく。

そして僕はタバコを一旦やめようと決意する。
もっと長い距離を、もっと速く、と思ったら自然に禁煙しようと思った。
そう僕はやると言ったらやる男だ。
その日以来、未だにタバコを1本も吸っていない。

2006年12月、僕はほぼ毎日走るようになる。
1ヶ月もするとある程度の距離も走れるようになった。
週末になると多摩川の河川敷を走った。
この頃からダイエットなど忘れて走る事に夢中になっていた。
クリスマスイブはもちろん大晦日まで走っていた。
そしてこの頃に僕はレースに出ようと決意する。
僕は初めてのレースを新宿シティハーフマラソンに決めた。

走り始めて3ヶ月、この頃はキロ6分だと楽に走れるようになった。
自分なりに頑張って、自分なりに走りこんだ。
そして向かえた初ハーフマラソン。
数ヶ月前の僕からは想像できない世界に飛び込んでいる。
レース前、制限時間が切れるかどうか不安だった。
そしてスタートの号砲が・・・
僕は必死に走った、ペースなど考えずに必死に走った。
途中急な腹痛に襲われ駆け込んだトイレに紙が無く(リタイアが頭をよぎる)、
別のトイレを探すというアクシデントにも負けず必死に走った。
そして無我夢中のゴール。
タイムはネットで1時間51分42秒。
今まで走ったことの無いペースで走った。
ある種の達成感に包まれた。
でも悔しさもあった。
トイレに行かなければ1時間50分を切れたかも、
あの時のう○こさえ無ければ・・・

そしてまた次の日から走り始めた。

2007年3月次のレースを翌月の東日本国際親善マラソンに決める。
目標は1時間50分以内。
その頃から素人一人での練習に限界を感じてクラブの練習会に参加し始める。
2007年4月に東日本国際親善マラソンに出るも惨敗。
その時はなんの達成感も無く、悔しさだけが残った。
そしてまた走り始める。
2007年6月にセカンドウィンドACの存在を知り7月に入会する。
今まで距離走しかしてこなかった僕はこのクラブで新しい練習法を知る。
練習だけでなく身体のケアのことも学んだ。
治療も定期的に行くことに決めた。
そして新しい仲間との出会い。
一人では辛い練習もみんなと一緒だと乗り切れる。
それは甘えかもしれないが
僕はエリートランナーではないのでそれでいいと思っている。
そして先日のレースでは念願の1時間50分きりを達成した。
しかし思った程の達成感はなく、もう少し上へと思う僕がそこにいた。
もう少し上へ・・・だから僕は走るのか。

2008年2月に30キロマラソン。
2008年4月には初のフルマラソンに挑戦する。
ハーフまでの距離までしか走ったことのない僕には未知の領域だ。
完走できるのかどうかさえ分からない。
足がボロボロになるかもしれない。
それでも僕は走るのだろうか。
それでも僕は・・・





なぜ僕は走っているのだろう。
すぐにでも足を動かすのをやめて、この場に倒れこみたい。
なぜ僕は走っているのだろう。
別に走るのが好きだったわけでもないのに今こうして走り続けている。
なぜ僕は走っているのだろう。



今は走るのが少し好きになった。


だから・・・

2007/11/9